夏休み中に考えていたことなどを書き連ねる

話し相手が居ないし夏休みに入ってから考えてたことを覚えてる範囲で分散的に書き連ねることにする。

 

①自己表現について

自己表現欲が溢れているせいか、最近とても文章を書きたい衝動に駆られるけどいい題材が見つからなくて後回しにしていた。

文系の学生だとレポートとかで自分の主張を表現する機会がありそうだから自己表現欲が満たされてブログ始めたりSNSで何かしらに意見したりしないのかなあとか思った。文系の学生が何してるのかも弊学の他の学生の活動も知らないから根拠のない憶測だけど。

いくつかブログの題材になりそうな物はあったけれど、対して深い知識もない分野に関する意見をブログという一方向的なメディアで発表するのは気が引けた。

人と対話する際には他者の意見を聞くことで自分の意見を見つめ直せたり新たな知識を得られたりするが、ブログはそうではない。自分が間違ったことを言っていた場合にそれを正してくれる人がいないというのは恐ろしい状況だと感じる。

だから専門的な知識がない人がブログに書く題材は自分の私生活についてなど、とても個人的な話題の方がいいと思う。

ちなみに一瞬書こうかなと思っていたのは「思考停止しがちな現代人と寛容主義的な思想の登場、そしてSNSの存在の三つの相性が悪すぎる」という話だった。

 

②優生思想がなぜ悪いのか

この前DaiGoが炎上していたことから優生思想がなぜ悪いか考えていた。

Twitterを見ると「それは優生思想だ!まるでナチスだ!最低!」みたいな意見がいくつか見られた。

しかし、優生思想とナチスを直感的に結び付けてすぐさまそれを悪とすることができるのか、世の中の人たちは熟考せずに直感的に優勢思想を非難できるほどに反優生思想を持っているのか疑問だった。出生前診断は優生思想と言えるかどうかみたいな議論もたくさんあるのに。

とはいえこの疑問は優生思想を直感的に悪として非難できない自分への焦り故だったような気もする。結局のところ、自分に人権思想が十分に身についていないせいなのだろうと一旦結論付けた。専門知識は無いのでこれが正しいかは分からない。

 

③高校時代のこと

高校時代も友達は多くなく、二人のクラスメイトと一緒にいることが多かった。

その二人とは性格は概ね似ているが根本的な思想は驚くほどに全員ばらけていた。

三人とも性格や思想はわりとこじれていたとは思うので一言で表すのは難しいが、一人は楽観的・無計画、一人は超悲観主義成果主義、一人は自意識の塊・ひねくれ者みたいな感じだった。

三人で何かの題材について議論すると必ず意見が割れて言い合いみたいになることが多かった。

どうしてこうも思想が違うのか今までずっと疑問で明確な答えは出ていなかったが、育ってきた家庭環境によってそれぞれが求める愛の形が違うのだろうかと最近ふと思った。

うまく言葉にできるほどまとめられていないが、三人とも愛の欠乏を感じていたという点は共通していたものの、三人が求めていた愛というのは「母親的な無償の愛」、「父親的な成果主義的な愛」、そして「相手に完全性を求める偶像崇拝的な愛」といったようにそれぞれ異なるものだったのではないか。ということだ。

まあ、だからといってどうという話ではない。

 

④一人暮らしの食生活

2年次から自炊を始めた。

2年の4月は料理というものが分からず、とりあえず鶏肉と大根をフライパンで焼いたものなどを食べていた。

当時は自分の料理したものが何故あまりおいしくないのだろうと感じていたが、美味しい料理を作るには味付けという工程が必要だと知るのはもう少し後のことだった。

2年の5月から11月まではカレーを食べていた。

最初はレシピを見ながら四苦八苦していて作るのに2時間かかっていたがいつしかレシピガン無視で適当にキャベツを手でちぎって入れたりなすびをハサミで切って入れたりするようになって30分以内に作れるようになっていた(ほとんどは煮込んでいる時間)。

結局カレーに飽きることは無かったが、鍋を持っていなくてフライパンで3日分くらい一気に作るから毎回フライパンから溢れるギリギリになっていたのと野菜を買いに行くのがめんどくさいのとフライパンを洗うのがめんどくさいのと3日分しか作り置きできないということが嫌になってもっと楽な料理を探すようになった。

それで2年の12月上旬は焼きそばや適当な炒め物などを食べていたが12月下旬に電子レンジで調理できる冷凍から揚げというものの存在を知り、3年の4月上旬までずっとから揚げを食べた。

ずっとから揚げでいいような気もしていたが、鶏肉を食べるよりも魚を食べたほうがいいみたいな話を聞いて4月下旬から5月上旬までは魚の缶詰を食べていた。

電子レンジでの調理も必要無く、とても楽だったけれど油が多すぎて明らかに不健康だなと思ったのでここでちゃんと栄養について考えることにした。

栄養について少し調べて、主食を納豆ご飯にすることにして5月下旬から7月までは納豆ご飯を食べていた。しかし、納豆ご飯だけではなく足りない栄養素はサプリメントで摂取することにしたのだ。

サプリメントというと高いイメージがあってろくに調べもせずに避けていたが薬局に売っているサプリを見ると1日20円で必要な量のビタミンを摂取できると知った。

今ではマルチビタミンの他、カルシウムや脂質、食物繊維もサプリメントで摂るようにして、タンパク質はプロテインを飲んで摂ることにした。

ちゃんと体に吸収されているかは知らないが必要十分な栄養素を経口摂取しているはずだ。

1か月半納豆を食べていて、これまで食材に飽きることは無かったのに納豆は飽きて食べるのが嫌になった。そして8月半ばからはキムチが主食になった。

僕は普段、1食にかかる時間が5分・1日当たりの食費は150円以内みたいな生活をしているのだけど他の学生はどんな暮らしをしているんだろう。

 

⑤孤独について

特段詳しく書くこともないが年々話す相手が少なくなった。

夏休みに入ってからちゃんと話したのは多分四人だけ。

人間が孤独を解消するために行動している、というのを最近よく感じていて、自分の行動原理が孤独からの逃避なのではないかと思っている。

 

⑥ご冗談でしょう、ファインマンさん

「ご冗談でしょう、ファインマンさん」というのはノーベル物理学賞を受賞したファインマンの自伝のこと。

きっかけが何かは忘れてしまったけれど読むことにして、西図書館の広大生のための123冊のコーナーにあったから借りてきた。

読み始めるとあまりに面白くて気が付いたら読み終わっていた。

ファインマンは「“本当にわかった”と思うのは、物事に二通り以上の説明ができた時だ」と語っていたのだが、本書ではファインマンの同様の思想が繰り返し述べられており、僕も最近はすっかりその思想に染まっている。

最近見た計算機科学者であるDonald Knuthによる若者へのアドバイス の中でも本質的に同じようなことが語られているように感じたのも興味深かった。

123冊のコーナーは教養本みたいなものばかり置いてあるイメージで内心小馬鹿にしていたがもっと早くこの本を読むべきだったなと思った。

孤独を感じて頭のいい人と話をしたくなった時にまたこの本を読み返すと思う。

 

⑦会うことが無くなった人達のこと

いつかは仲が良くてよく話していた人達の中にも今は全く話さないし何をしているのかも知らない、という人がたくさんいる。というかほとんどそうだ。

会いにくい現状とかは置いといて、また会って色々と話をしたいなと思っているけれど多分こんなこと考えてるのは僕だけで、たとえ実際に会って話をしたとしてもどこか気まずい空気が流れるような気がしている。

これまで大学で出会った人達とも卒業するまでに会って話をしたいとは思っているけれどきっと別れの挨拶もせずに二度と会わなくなるんだろうなと感じる。