オンライン授業が終わらない

今年の四月から感染症の流行により、対面ではなくオンラインで授業をすることになった。

オンライン授業が始まった当初はただの一時的な授業形態だと思っており、1、2ヶ月もすれば通常通りの授業が始まるだろうと考えていた。

そのため最初のうちは大学に行かなくてすむのをいいことに好きな時間に寝起きできて散髪やヒゲ剃りをしなくても支障のないオンライン授業生活を満喫していた。

しかしどうだろう、桜が散り、春が終わってもオンライン授業は終わらない。

2020年が半分終わり、7月になってもオンライン授業は終わらない。

「おい!どうなってんだよ!いつになったらオンライン授業終わるんだよ!何回も何回も一人で授業を受けて課題を提出してもまた新しい授業と課題が出てくるだけじゃねーか!」

いくら叫んでも自分の声が部屋の壁に反響して返ってくるだけだった。

そしてとうとうオンライン授業のまま夏休みを迎える。

夏休みが終わる。やはりオンライン授業は終わらない。

僕は相も変わらず授業を受け続け課題を提出し続けた。

結局2020年度はオンライン授業のままだった。

そして迎えた新年度。オンライン授業は終わるだろうか。いや、やはり終わらない。

結局丸1年間授業を受けたところで「オンライン授業に終わりなどない」という簡単な事実を受け入れ始めた。

オンライン授業は実際そこまで悪いことばかりではないのだ。寝坊を心配しなくていいし、大学ですれ違っても挨拶だけして特に話さずにそのまま通り過ぎるだけの微妙な関係の知り合いとも会わずに済むのに単位は取得できる。だが、どこか漠然とした不安が襲ってくる。なんだかさみしくなって、部屋の隅を見てこれからの生活に思いを馳せる。

(おいおい、訳わかんねーぞ、俺、一体どうなるんだろう...?)

(対面授業の頃に戻りてぇよ......)

そんな願いも届かず、オンライン授業は無慈悲に翌年度も翌々年度も続く。

この頃にもなると、襲ってくる寂しさに対抗する術もいくつか身につけていた。

そのうちの一つが「妄想講義」である。

目をつむり、大学の教室を想像しながらパソコンから流れる授業動画の音声を聞く。そこに人のざわめきの音声を小音量で流せば自宅が大学の講義室に早変わりだ。

その他にも、授業動画を完璧に暗記して一人で先生役と学生役の両方を行う「一人講義」などもしていた。こうして僕はオンライン授業を受ける生活に順応していったのであった。

そして迎えた卒業式。オンライン授業は結局終わらなかった。

会社に入って社会人になる。まだオンライン授業は終わらない。

職場で知り合った女性と結婚し、子供をもうけ、マイホームを購入する。まだまだオンライン授業は終わらない。

子供が成人して家を出ていく。オンライン授業は終わらない。

会社を定年退職して老いた妻とおだやかな生活を送る。

妻との付き合いももう何十年にもなった。一緒にいる時間で言えばオンライン授業の次に長いのではなかろうか。

妻が老衰で死んだ。子供たちもとっくに所帯を持っているし、これからは数十年ぶりの一人暮らしになる。オンライン授業は終わらない。

 

あれから途方もない時間が流れた。

親族は僕以外全員亡くなったそうだ。今じゃテレビをつけても砂嵐しか映らない。

僕はもはや考えることをやめていた。

しかし、授業動画を再生して課題を提出することはやめない。

 

 

それからまた限りない時間が流れた。

一体今まで何本の授業を受けたんだろう。何個の単位を取得したんだろう。そんな疑問を抱くことさえとっくに忘れていた。数千年に一度頭に浮かぶことと言えば、「対面授業をしていた頃に戻りたい」ということだった。

(......対面授業が受けたい...............)

(!?)ガバッ

その時僕に電撃が走った。

(どうして僕は対面授業が受けたいと思うんだ?)

(僕は昔何も考えずに大学生活を送っていた。でもそもそも大学ってなんなんだ?大学生ってなんだ?対面授業って?サークルって?)

僕は考え続けた。しかしその間も300倍速で流れる授業動画の理解を止めず、1万字のレポートを毎分提出し続けた。

そんな生活を計り知れない期間に渡って続け、僕はレポートを書く手を止めた。考え続けていたものへの答えが出たのだ。

その時もみじの掲示板が更新された。タイトルは、「来週より対面授業が