広島大学雑学集

 

あけましておめでとうございます

2019年も終わり2020年になりました

 

何年間もここで学生生活を送っている先輩方はもちろん、01の人たちも広大でのキャンパスライフにもとっくに慣れて、広大について知らないことは特にないと思っている人は少なくないんじゃないでしょうか

 

 

 

しかし本当にそうでしょうか?

 

この記事ではみなさんがあまり知らなそうな広島大学に関する雑学を3つ紹介します

 

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最初の部活

みなさんは広島大学で一番最初に作られた部活が何かご存じでしょうか

 

実はその部活とは現在僕も所属している探検部なのです(今は部活ではなくサークルとなっていますが)

 

とはいえ正確に言うと広島大学ではなく、探検部は後に広島大学に統合されることになる旧制広島文理科大学で作られた部活でした

 

旧制広島文理科大学が設立された当時は瀬戸内海近辺にはまだ地図に載っていない島々があり、その島々を見つけて日本の地図を完成に近づけるということが必要だったためその目的を完遂するために大学が設立されて初めに探検部が作られたというわけです

 

現在の部活とは異なり、探検部は学術的な目的を達成するために作られて地図に示されていない島の発見の他に新種の生物の発見等、様々な学術的価値の高い発見をしていたそうです

 

 

 

 

ゆめタウン学園店

広島大学東広島キャンパスが設置された1982年当時の東広島にはゆめタウンが出店しておらず、大学周辺は今よりもずっと不便でした

 

そして当時の学生が直面した問題が雇用の不足です

大学周辺に住む人たちは農業従事者がほとんどでお店がなく、大学の学費が今と比べて格安だったとはいえ学生はアルバイト先をほぼ全く見つけられなかったため貧窮しました

そのため十分な食事を摂ることもできない学生が相当数現れ、東広島での学生生活は安定しているとはとても言えない状況でした

 

そこに躍り出たのが株式会社イズミです

イズミは1990年にゆめタウン東広島店を出店し、学生の雇用問題を解決しました。

しかし段々と学生数が増え、東広島店だけでは学生の働き先が足りなくなったためイズミは2002年に2店舗目としてゆめタウン学園店を出店しました

ゆめタウン学園店、東広島店は学生を救うためにできたわけです

 

 

 

 

フェニックスタワー(広大タワー)

フェニックスタワーとはご存じの通り広島大学の郵便局近くにある、「広島大学」と大きく書かれた細長い建造物のことです

 

あれは煙突なのですが、実はただの煙突ではなく広大内にある地下施設への入り口の一つになっています

 

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上記画像にも書いてあるように、広島大学には地下通路、地下施設があります

その地下施設の中心となる施設がフェニックスタワーの真下にあり、フェニックスタワーはそれをカモフラージュするために建設されたものです

 

そして一説によるとその地下施設には初代学長の遺体がコールドスリープされた状態で保管されており、将来科学技術の発展により遺体を蘇生できるようになった頃に再び初代学長が長い眠りから覚めることが期待されているそうです

 

そのため死んでも蘇ることで有名なフェニックスの名がつけられているんだとか。

 

 

 

 

 

いかがだったでしょうか

一人でも多くの人に自分の通っている大学に関することでも知らないことがあることを実感し、もっと広島大学について知ろうと思ってもらえれば幸いです

他にも広島大学に関する雑学を知っている方は僕に教えてくれればとても嬉しいです

最後まで読んでくれてありがとうございました

 

 

 

 


 

p.s. この記事に書いた雑学は全部僕が暇つぶしに考えた嘘なのでドヤ顔で友達に話すのはやめましょう